「温故創新」211228 N979 伊波喜一

老いてゆく 父の話を 聞くことの 大切さ知る 耳傾けん   

 自転車で走っていると冷たくて、耳が痛い。氷点下までいかなくても、この寒さである。暑いのは陽が落ちるのを待てばいいが、寒いのは我慢が出来ない。北国の暮らしは、つくづく大変だと思う。

 面会が出来るようになって、父に会いにホームへ出かけている。電話ではほとんど、二言三言で終わってしまう。元来、饒舌ではないので、話がすぐに終わってしまう。

 その点、面会だと最低でも30分間まとまった時間が取れるので、出来事にまつわる話が出来る。特に父が気にかけていることは、直接話を聞かないと背景が分かりにくい。

 何せ、来年で95歳になる。ほぼ1世紀を生きてきての実感は、10年20年の枠では捉えられないものがあろう。自身の来し方を語るかと思えば、残された者達の行く末を気にかけたりと様々だ。

 そんな中で、孫達がどう自分の道を開いていくのか気に掛かるようだ。日本の軍国主義を経て、米国の自由と平等のシャワーを浴びて青春時代を送った父。

 それだけに、日本や世界の未来が言論弾圧の時代に逆戻りしないか、懸念している。

 歴史に「たられば」は通用しない。日本の内外を取り巻く状況は、極めて厳しい。大地に足を踏んばって生きてきた父。父のように懸命に生きてきた庶民の声が、天に届くことを祈っている。