「温故創新」230714 N1234 伊波喜一

人の耳 2つあるのは 何のため 聞くに徹する 気持ち広げる  

 曇り空が続いている。相変わらず、陽射しが強い。日傘を差す人の気持ちが、よく分かる。筆者も今年から、試してみたい。

 人は感情の生きものである。理性で納得するのは勿論だが、それに気持ちが伴わないと行動には至らない。

 また、人は話したがりの生きものでもある。聞くよりも、先ず話を聞いてもらいたい。だから、親身に話を聞いてもらった時は、感謝の気持ちとともに満足する。

 実は一流と言われる人は、例外なく聞き上手である。話も上手であるが、必ずしも能弁とは限らない。訥弁(とつべん)でも、そこに血が通っている。言葉に表情があり、それが人の心を打つ。

 S先生は、聞き上手な方だった。頭の回転が早く、そのスピードと先見性に、ついていくことさえ覚束なかった。「朝令暮改」ならぬ、「朝令朝改」のハイペースで、指示や修正のダメ出しが出た。

 一方で、先生は話の聞き上手だった。先生のレベルからすれば、筆者達の質問はおそまつこの上なかったはずだ。

 しかし、先生は噛んで含めるように、丁寧に話してくださった。上下の関係でなく、対等に話してくださった。そして、少しでも理解が進むように、時間をかけて説明して下さった。

 その時の感激と喜びは、時を経ても色褪せていない。よくぞ、あそこまで根気よく付き合ってくださったと、感謝に耐えない。