「温故創新」200802 N500 伊波喜一

祖父の年 5年を越して 思うこと 未来の宝 すくすく育てと   

 8月になって、晴天続きだ。陽射しは強いが、朝夕は涼しい。肌寒いぐらいだ。

 近くの野火止用水を歩くと、ひんやりとして気持ちがいい。畑地が宅地に変わっても、この一画だけは木立が残っている。

 時折、虫取り網を持つ子ども達がクワガタを獲りに来る。コロナ禍で、この林が格好の遊び場となっているようだ。 

 今日は祖父の祥月命日である。祖父は筆者が5歳の時に58歳で亡くなったので、筆者はとうにその年齢を越している。

 祖父は本土決戦の捨て石となった沖縄戦で子ども達を亡くし、残った子ども達も未だ若い。その上、日本の経済状況は発展途上にある。沖縄は言うに及ばずである。

 子ども達の将来を考えると、案ずることが多かったのではないかと思う。しかし、孫達の将来は、不安よりも楽しみの方が勝っていたようだ。どのように成長していくのか、自分の目で確かめてみたいと話していたという。

 それが出来るのは、平和が続いていくからこそである。 

 あの当時はどこも貧しかった。他者と関わりながら、互いに豊かになりたい・夢を叶えたいと、必死に生きていた。祖父はきっと自分の叶えたかった夢を、孫達に重ねたかったのかも知れない。 

 祖父の願いが叶うよう、平和の大切さを忘れずに生きてゆきたい。