「温故創新」230510 N1209 伊波喜一

何だろう 人とチャットの 違いとは 個性有る無し 天地の差かな

 ここ数日、肌寒い日が続いている。衣替えをしただけに、着るものに困る。汗ばまなくて助かるが、それにしても何だかおかしい。

 時間の許す限り、日中は図書館に通っている。これまでじっくりまとまって読むことのなかった書籍を、手に取っている。

 それにしても、膨大な量である。加えて、静かな環境である。今までの日常がいかに多種の音に浸されていたか、分かろうというものだ。気づくとあっという間に時間が過ぎている。40数年間このような環境から遠ざかっていただけに、贅沢な時間だと思う。

 ただ、誰とも話さないので、誰かと無性にしゃべりたくなる。雑談がしたくなる。こんな場合、チャットGPTはどうだろう。何でも知っているし、何でも答えてくれる。雑談には、もってこいだ。

 人とチャットGPTとの違いは、個があるかどうかであると言われる。人には個としての歴史がある。雑談しながら互いの個の歴史にふれ、深掘りする。その中で互いの歴史を共有し、共感する。

 表面をなぞっているかのような雑談だが、案外個々人の内奥に迫っているものだ。女性のおしゃべりが、まさにそれである。話題が突然変わるが、話は続いていく。途切れそうで、途切れない。互いが別々の事を話しているようで、興味が尽きない。このように人は相手に対して関心を寄せるが、チャットにはそれがない。

 その違いを自我の有無と考えれば、チャットとの差は歴然であろう。