「温故創新」230504 N1208 伊波喜一

最後まで 子孫のことを 案じつつ 小言の母を 思い出さんか

 空気が澄んで、爽やかな陽気である。完熟に近いサクランボの実を、3袋分もいだ。小鳥たちには申し訳ないが、そうでもしないと実が食い荒らされるだけだ。娘と2人で、梯子をかけて取った。

 母が亡くなって、丸9年となる。歳々日々に記憶が薄れていくかと思っていたが、逆である。むしろ、少しずつ色んなことを思い出す。

 亡くなる真際に、母の体調が悪化した。主治医が入院の措置を取り、検査をしようとした。しかし母は「自宅に帰る」と言い張り、途中からハンガーストライキを決行した。病院でも並々ならぬ母の意志の固さに根負けして、不承不承だが自宅に帰すことにした。

 その時には、自らの寿命がもう長くないことを覚っていたのかも知れない。あの母が、安堵の笑みを浮かべたという。

 「母が筆者に会いたがっている」と、姉から電話が突然あった。本来は上さんが帰る予定だったが、急遽、筆者と交替した。

 その夜、実家に戻ると、すぐに気づいた母が「帰ってきたねぇ」と、喜びを声にした。ずっと、帰りを待ち焦がれていたのだろう。声に力があった。生きる力が湧き出ているかのようだった。

 それから2日後、手足をさすっていると「姉さんの言う事をよく聞いていきなさい」と、最後まで筆者に説教をした。それが、母の最後の言葉となった。気丈な母らしい、最期だった。他にも、言いたいことがいろいろあったに違いない。

 その母にもっと叱られておきたかったと、つくづく思う。