「温故創新」220701 N1069 伊波喜一

帝国と 国民国家の 概念を 普遍的価値 めぐる混沌

 ブルーベリーの先端が、うっすらとピンク色に染まっている。もう少し経つと、全体がほんわかと色づいてくる。早目に、鳥除けの網を被せなくてはならないだろう。

 ウクライナへの侵略をめぐり、ロシアへの脅威からNATOへ加盟する国が出てきた。西欧流の民主主義から見れば、ロシア帝国主義は相容れない。

 同じように、中国の覇権主義も対岸の火では済まされない。香港や台湾の民主主義への介入と弾圧は、世界全体への脅威と映る。

 西洋流の民主主義には、人種や宗教と闘ってきた歴史が刻まれている。帝国的価値観と相容れない。宗教的背景も重厚にある。権力と闘い、倒してきた歴史は日本にはないものだ。

 しかし、米国にしても欧州にしても連合体であり、帝国主義の構造と似通っている。その見方からすると、欧米もロシアも中国も、連合国の体裁を成した民主国家と言えなくもない。互いが互いを批判しているが、民主の捉え方は枠が広くて1つに括れない。

 純粋な意味での民主は、哲学や宗教の中に萌芽がある。泥中に咲く蓮のように、清濁の中に花開く。混濁の土壌が煩悩を焼く薪となり、昇華して花を開かせる。しかしその大義を実現しようとするあまり、宗教戦争まで引き起こした。

 自国の民主を絶対化して、その概念を当てはめることは危うい。