「温故創新」210902 N867 伊波喜一

水泡の 20年の 虚しさよ 武器と憎しみ アフガン混迷  

 雷雨が続いている。シャワーのように雨が降り注ぐ。乾いていた大地には潤いの雨だが、降り方が尋常ではない。降る時間も長く、大水が心配だ。

 2001年9月11日の同時多発テロを境に、連合国によるアフガンへの空爆が始まった。米国は4代にわたってタリバンと交戦し、2兆ドルもの戦費を注ぎ込んだ。

 ただし平和と外交、民主と人権、規律と平等、文化と教育、経済と福祉に情熱を注いだのではない。タリバンを抹殺することだけに、力を注いだ。タリバンを叩き、潜伏地を空爆し、テロリストを抹殺した。

 度々誤爆を引き起こし、老若男女の民間人や病院まで標的にされた。建物は破壊しつくされ、インフラも破壊された。

 死傷者や負傷者数の数も尋常ではないが、PTSDなどの後遺症が懸念される。これは、兵士にも民間人にも当てはまる。

 イラク戦争がもたらしたものは、イラクの疲弊と混乱である。

 西欧流の国民国家は、なぜアフガンの部族社会に根づかなかったのだろう。また、なぜ過激思想を根絶できなかったのだろうか。

 文明の背景には、複雑な歴史がある。その価値観に善悪のレッテルは似つかわしくない。なぜならそれは、そこに住み続けていなければ体感できないものだからだ。

 一方的な正義を振りかざすだけでは、混乱をもたらすのみだ。