「温故創新」210905 N870 伊波喜一

リベラルと 保守の関係 変わりつつ 本質見据え 概念変えん    

 ここのところの冷え込み(?!)で、冬用のパジャマやら毛布やらを引っ張り出している。冷蔵庫には製氷機で作った氷がたっぷりあるが、何だか季節外れの感じだ。

 リベラルの考え方が、変わりつつある。

 リベラルが本来持っている「自分らしく自由に生きる」ことから、SDGsや多様性の概念が出てきた。ところが自由を守り育てるには、時間と手間とコストがかかるという現実がのしかかってきた。

 民主主義がそうであるように、一人一人に光を当てその権利を守るためには、話し合いが必要である。対立する考えを調整するには、とにかく根気と時間がかかる。

 こうして汗を流し協力して築き上げた目標は、自由を求めて願い続けてきた夢と言える。だから、万が一その夢を達成できないとなれば、それは達成できない側に問題があると考える風潮が、ここのところ顕著になってきている。

 有名なメンタリストの差別発言も、発言の奥底にこの文脈が流れていると感じる。この文脈を広げていくと「夢を掴み取れないのは、本人の努力が足りないせいだ。努力しない者には、食べる資格がない」となりかねない。

 共生社会の実現は、平坦な道のりではない。互いの言動に鷹揚な社会へと、舵をきらなくてはならないのではなかろうか。