「温故創新」180706 N240 伊波喜一

生存の 自由奪うは 許されぬ 倫理と法の はざ間で悩み  

死傷者を含め、国内外に多大な衝撃をもたらしたオウム真理教事件の死刑執行が本日午後行われた。7名の同時執行だった。オウム真理教はバブル期に出現し若者達の心を捉えた集団だった。が、自らの目的達成のためには手段を選ばなかった。猛毒のサリンを撒くなどしたため、被害者は今なお後遺症で苦しんでいる。信者の起こした事件とそれを指示した首謀者の罪は、決して許されるものではない。 その死刑執行については、賛否両論が巻き起こっている。極刑を望む声もあれば、極刑によって真相究明の機会を失うことで新たな指導者を生み出す可能性がある、とする考えもある。この事件は四半世紀前に起きたが、社会全体の閉塞感はますます高まっている。グローバリズムのような経済一辺倒の価値観で物事を判断することは、危険この上ない。結果として、協調や連帯という価値観がすみに追いやられ、差別や分断が世界中で加速されてきている。オウム真理教事件は過去の事件だが、その本質は今と重なって見える。あの過ちを二度と繰り返さないためにも、生命を尊ぶとはどういうことか、この事件を振り返ってみる時が来ていると感ずる。