「温故創新」230314 N1196伊波喜一

額縁の 笑顔に向かい 呼びかけん 沈黙の日に 何思うらん 

 南風に向かって、鳥たちが飛んでいく。時折の寒さに驚くものの、日増しに寒さが和らいでいる。春は間近である。

 父が亡くなって、1年が過ぎた。寒さによる冷えから肺炎になり、2度入院した。戦争直後の青春期に、衛生不良と栄養・薬の不足から肺結核になった。

 その極限状況のなか何とか乗り越えてきたものの、肺炎菌は生き続けていたようだ。抵抗力が無くなった時に、再発した。診断をして初めて、数十年前の肺炎菌がしぶとく生き残っていることに気づかされた。そのせいであろう、肺機能は必ずしも丈夫とは言えなかった。 

 私達は普段、健康の有難みに無頓着である。機能して当たり前と思い、関心と感謝を忘れがちである。実際には息を吸ったり吐いたり、呑んだり吐いたりが出来なくなると、とたんに生活に行き詰まる。 

 父もそれがきっかけで、自宅介護から介護施設へと移らざるを得なくなった。几帳面で、日記や手帳を欠かさなかった人だったが、先ず日記が途切れた。そのうちに、メモも途切れがちになった。

 ルーチンワークが困難になり、施設で生きる意味を見い出すのが難しくなったのかも知れない。筆者も時間の許す限り面会に行ったつもりだが、もっと傍にいて話を聞いてあげたかった。そして、日常の何気ない話から、父の気持ちを察してあげたかった。

 日記に書かれなかった父の沈黙の意味を、考えている。