「温故創新」230316 N1197伊波喜一

230316 N1197伊波喜一

 喪に服す その行為こそ 大切と 喪失の危機 希薄な間合い 

 南風に乗って、花粉が舞う。重度な花粉症の上さんは、朝、空気の入れ替えで窓を開けた途端、くしゃみを連発している。気の毒になる。

 喪に服する。冠婚葬祭の場で、酒を酌み交わしたり、普段会わない親戚と近況を伝え合う。コロナ下で久しく遠ざかっていた日常が、少しずつ戻ってきた。

 別れや哀しみは、その傷が癒えるまでに時間がかかる。行きつ戻りつ感傷に浸りながら、傷を癒していく。その繰り返しの中で自らの心に向き合い、隙間を埋めていく。

 母が亡くなって、この5月で丸9年が経つ。食道の大手術をして延命し、余生を送ることが出来た。やせ細りはしたが気丈夫で、どこからその生命力が出てくるのか不思議なくらいだった。

  孫達の将来を楽しみにしながら、同時に行く末を案じてもいた。特に沖縄が基地の島であることを、懸念していた。

 唐、薩摩、大和、アメリカ世に翻弄され、壊滅的な状況で生き延びてきた沖縄。その歩みは、宿命の島と言っても過言ではない。戦争の発火点となる基地で生業を立てていることに、母は反対していた。

 孫達に宛てた手紙には、戦争のない世の中を熱望していると書いてきた。筆者も孫を持ってみて、母の気持ちを実感している。子孫が戦乱の叫喚に巻き込まれないことを、心から願う。

 母が元気なうちに、このことをゆっくり話しておきたかった。