「温故創新」210804 N838 伊波喜一

現実の 世界負けずに 生きてこそ 月こそ心 花こそ心

 裏のプランターで育てたヘチマが、立ち枯れしている。栄養が足りなかったのか、この暑さのせいなのか。ゴーヤーは小さいながらも実っただけに、栽培の難しさを思う。 

 安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した著名な絵師達には、日蓮の信奉者が多い。狩野派琳派葛飾北斎などがそうである。

 日蓮仏画や仏像を残さず、文字曼荼羅を残したが、後世の絵師達は、花鳥図を残した。

 彼等は、花や鳥を描いただけのように見える。だが、これほどまでに、見るものの心を動かすのはなぜだろうか。

 絵師達はたんに、花や鳥を描いたのではなかろう。万物の流転の奥に流れる現象を捉え、それを現実の姿に投影した。花鳥の奥に流れる普遍性に目を向けつつも、花鳥そのものを「心」と捉えた。

 日蓮の「白米一俵御書」には「爾前の教教の心は心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし、法華経はしからず、月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり」とある。 

 現世での革新を願い、現実を肯定して生きる日蓮の思想が、絵師達の変革を促したことは想像に難くない。勿論、伝統や化儀は大切にしないといけないが、固執すると物事の本質を見失う。

 圧倒的な迫力をもって絵師達の絵が迫ってくるのは、刹那に永遠を籠めようとする心を、見るものが感じるからかも知れない。