「温故創新」210709 N812 伊波喜一

研究の 成果ばかりを 求めても 交付金とは 一体何かと 

 東村山の農家スタンドで獲れたトマトが甘い。枝で熟させた完熟は甘みが違う。小さい頃、畑で生っていたトマトの味がする。太陽の光を浴び雨風に打たれた分、甘みが増すのだろう。自然の味はいい。

 国立大の運営交付金のあり方について、報告書がまとめられた。

 焦点は、論文の引用件数や若手研究者の比率といった指標で、文科省が大学を評価するあり方だ。

 このやり方だと毎年予算が増減するので、安定して教員を雇用できない。また研修が十分に行えず、教育を向上させることが出来ない。

 例えば新型コロナウイルスの研究でも、米国では予算も施設も十分に確保している。すぐに成果に結びつかないものでも、基礎研究費を保証して研究を続けられるようにしている。

 今回RNAワクチンを開発した研究者も、米国に亡命したことで研究費を保証され、開発にこぎつけた。 

 欧米が日本と大きく異なるのは、研究の成果のみに捉われないところだ。実験に失敗したと取るか、具体的なデータが得られたと取るかで、研究の裾野は大きく広がる。それが研究者のモチベーションとなり、創造的な研究に繋がってゆく。

 研究成果が実るには、人財と予算と辛抱がいる。それだけ時間がかかる。本腰を据えて人財を育てなくては、いつまで経っても日本独自の成果は得られまい。