「温故創新」200714 N482伊波喜一

物事は 意味が異なる それぞれに 違いを認める 言葉の力で 

 この長雨でブルーベリーの実が酸っぱい。だが陽をいっぱい浴びた実は甘い。作物には陽射しが戻ることが一番の薬だ。 

 ヒトと動物の意識の違いは、絶対音感にある。動物は音の高さが違うと、それを同じものとして認識できない。

 ヒトが個々の違いに拘束されず大きく特徴を捉えられるのは、言葉の力に依る。言葉には個々の差異を認めつつも、そこに拘泥せず、全体を包含する力がある。 

 例えば、バナナ一つとっても、形状や色合い、手触りが全く同じというものはない。すると、それを同じものと認識できない。 

 小さい子は同じ食べ物でも、微細な点にこだわる。ドーナツの輪っかの大きさや砂糖のまぶし加減が気になり、「これがいい」とこだわる。ドーナツという概念が出来上がれば、このようなことはなくなってくる。 

 人間の社会は、必ずしも絶対音感で成り立っているわけではない。一人ひとり、相対音感で生きている。

 だから自分の言葉で考え、自分の言葉で話している。 

 自分の考えを表明することは大切だが、他人の考えを聞かず、自分の意見だけを押し通すと、唯我独尊に陥る。

 今、世界は分断化している。差異に拘り、包含することが出来ない社会は、窮屈で不幸である。