「温故創新」200713 N481伊波喜一

運搬を すること不思議 人にだけ 備わる力 動物に無く 

 今週も雨続きで、九州の復興に水を差す。非情の雨である。 

 コロナ禍のため、世界全体で物流が止まった。

 ヒト以外の動物は食物を採取すると、その場で食べる。ヒトだけが採れた食料を別の場所に運び、分配する。動物も分配はするが、運ぶことはしない。 

 その点、ヒトは分配されたものを受け入れる。

 当たり前のように思われるかも知れないが、これは生死に係わる信用問題である。もし、運ばれたものに毒でも入っていれば、命を落としかねない。

 戦国時代には他所から客人を招き饗応する場合、必ず毒見役が検分した。自分で採ったもの以外は、全て疑いの対象だったわけである。 

 現代のような物流全盛時代が成り立つのは、相手の作ったもの・運んだものを信用しているからである。 

 力が強い動物たちは食料を採ることが得手であり、分配するだけで十分だった。敢えて、食料を運ばなくても十分に生活できる。いわゆる、自己完結型の生き方をしていた。 

 ところが、人間は体も力も弱い。一人はおろか小集団でも食料を得られなければ、死滅する。だからこそ食品を運び、交流していくようになった。

 非力であることを最大の武器としたところに、人類の知恵を感じる。