「温故創新」240302 N1401伊波喜一

懐かしさ 思い出手繰る 30年 元気な姿 昔が今に

 サクランボの芽が、まあるく膨らんでいる。明日は雛祭りである。

 グアム時代の友人と、30年ぶりに再会した。浜松市から車で片道5時間半もかけて、わざわざ上京してくれた。

 彼女は米国に住んでいた。国際結婚して彼の母国日本へ移り住んだ。日本語は話せるし理解も出来るが、読み書きは英語が断然勝る。そのため、日本語の微妙なニュアンスが分からない。

 米国では、個人の意思が最大限に尊重される。同様に、意見は誰にも忖度せず堂々と言うのが普通だ。ところが、日本はその真逆である。慣習や習慣に戸惑う事が多く、ストレスが溜まってゆく。

 結婚を祝いながら、この30年の来し方を聞かせてもらった。米国は自由な反面、自己責任が徹底した国だ。自由は自ら勝ち取るものであり、与えられるものではない。それだけ生存競争が厳しい。

 日本はそこまではいかない。が、煩わしい人間関係を避けて生きることは出来ない。これらの文化の違いは、互いの国の奥底を通奏低音のように貫き、思わぬところでパートナーとぶつかる。

 外国で暮らすのは、並大抵のことではない。先ず語学が堪能でないと、仕事が得られない。仕事を得ても、この文化の違いを習得し、我が身に刷り込まなければ、やがて行き詰まる。アイデンティーは文化の表層を撫でたぐらいでは、到底確立できるものではない。

 日本文化への友の適応と活躍を、祈る思いで別れた。