「温故創新」220323 N1017伊波喜一

なめらかに 会話すること 魅力だが 内容の価値 先ずは問われん    

 昨日は雪混じりの一日となった。それにしても、寒かった。これで電力が停まれば、かなりの冷え込みとなろう。一にも早い東北の電力復旧が、待たれる。

 日本の英会話人口は、裾野が広い。熱もある。しかし、それに見合うだけの上達があるかと言われれば、そうとは言えない。

 確かに、なめらかにしゃべるのを聞くと、うらやましくなる。立て板に水で会話できれば、素敵だ。しかし、本来会話は、相手とのキャッチボール形式で進んでいく。決して、一方通行のものではない。何にもまして、話す内容こそ大切となる。

 単にゴシップを追うだけなら、早晩、話題は尽きる。なぜなら、人は存在感を求める生きものだからである。

 どんな人生観を持ち、どう生きていくのか。違う人生観を持つ人と接することで、自分のアイデンティーを深められる。

 だから、生き方そのものが問われる。良質の話題を共有するために語彙力を磨き、政治・文化・芸術面への造詣を深めていくのだ。

 英会話のバックグラウンドには、無数の政治的・宗教的・人種的土壌が横たわっている。この未知の土壌を探りながら、言葉を紡いでいく。そして、共通事項を増やしていく。

 そこに、英会話の本質があるし、醍醐味もある。会話の本質は、所詮、人と人との理解に他ならないのだ。