「温故創新」240131 N1383伊波喜一

判定の基準 誰が 決めるのか 文化芸術 公的支援 

 窓から注ぎ込む光が、心なしか暖かい。冷え込みの激しい時期なのに、春先のように感じるのはなぜだろう。三寒四温の寒が抜けている。

 出演俳優が麻薬取締法違反で、有罪判決を受けた。その結果、助成金交付を取り消された。「公益性」という観点から取り消されたのだ。

 公益とは国民全体の利益を指す。日本では、公益が国家や政権の利益と同一化される。こうした土壌が、文化芸術への政治介入を招きやすくしている。

 政治の影響力を抑制するためには、政治権力から一定の距離を置いた機関が設置されるのが望ましい。芸術の評価は、賛否両論分かれることがある。善悪で判断できるものではないし、またするべきでもない。民族や団体に固有の芸術に対し、善し悪しの判断など下せない。 

 経済効果は勿論のこと、民族の優れた文化を紹介し精神を鼓舞するのは、価値的である。価値は美的・利的・善的要素を、包含する。

 先年、東京富士美術館で「大シルクロード展」を見たが、西夏文字で書かれた法華経など、個人では一生かかっても先ずふれることの出来ないものばかりだった。砂漠という過酷な環境下で、伝えられてきたこれらの文物は、公共の枠を広げざるを得ないものばかりだ。

 芸術の公益性を考える上で、その活動が社会や経済にどのような良い影響をもたらすのか、この点の検証は不可欠である。大義名分は、文化芸術にこそ求められる要因であろう。