「温故創新」240115 N1372 伊波喜一

身体の 感覚排し AI化 頭でっかち 数値頼みか

 2日間にわたる大学入試共通テストが終わった。能登は風が吹き荒れている。地震の被害にあった受験生達は、力を発揮できただろうか。

 Chat GPTの登場で、人間の知性を超える「シンギュラリティー」が訪れると騒がれている。果たしてそうだろうか。

 確かにAIは、それらしく応答する。テキストの文法やルールに従って、質問に最も相応しいと思われる文字を述べていく。しかも、それらが文法という完結した形式に則っているので、さも意味深長に思えてしまう。ただそれだけのことである。

 当然のことだが、それは問いを発した人の、今置かれている状況や気持ちを汲み取って、答えているわけではない。ましてや、生老病死という人生の根本命題から発する問いには、その人の人生が凝縮されている。この問いに応えようとするなら、AIにもそのような身体感覚と肉体化がなくては、共感しようがない。

 例えば、100万円を手に入れたとする。1人の人は自ら考え抜き、心を砕き、働き詰めで手に入れた。もう1人の人は親の裕福な遺産を手にし、何の苦労もなく、利子だけでその額を手に入れた。得た額は同じでも、お金の重みと実感を伴うのはどちらか、瞭然であろう。 

 一分野に関して、AIには人知の及ばない高い能力がある。一方、人には悩める人の心に共感し、高める不思議な力がある。どれだけAIが進化しようと、人に備わるこの感能力を凌駕することは出来ない。