「温故創新」230830 N1274伊波喜一

 情報と 知性の区別 つかぬまま 鵜呑みにするな フェイク見破れ   

 AI技術の進歩は凄まじい。もしかすると本物以上に器用なAIなので、シンギュラリティが起こるとするのも分からないではない。  

 人間の脳は、巨大な神経回路網をつくり上げている。無数の神経細胞を張りめぐらし、関連させ、情報網を活性化する。脳の細胞はシナプスで繋がっており、情報伝達をする。

 AIにニュートラルネットワークを使って、民族・人種・宗教・経済力に偏りなく、大量の情報を公平に吸収させる。すると、このメガインフォメーションが、人知を超えると考える人も出てくるだろう。 

 しかし、AI同様に情報伝達しているのに、なぜ人には感情など複雑な心模様が伝わるのだろう。またその感情に同苦し、くみ取ることが出来るのだろう。それだけではない。

 様々な出来事を個人の物事として留めるだけでなく、自己を取り巻く全体の課題として共有することができる。

 さらに、生老病死という哲学的・宗教的な問いを、人はナゼ何千年も保ち続けてきたのか。そして、これからも保ち続けようとするのか。一方、過去に思いを馳せ、未来を想像することは、AIには難しい。 

 これらのことから明らかなように、人は情報を行き来させるだけではない。そこに知性を見い出し、意義づけし、行動していく。

 そう考えると、与えられた情報からしか判断できないAIと主体的に価値創造する人との違いは、明白ではないだろうか。