「温故創新」230303 N1188 伊波喜一

久方の 上野の里に 降り立ちて 動物たちの 姿悲しも

 今日は雛祭りである。古来、日本では雛人形を飾り、女児の健やかな成長を願ってきた。しかし、世界の現状を見ると、まだまだそのような現状には達していない。

  世界では女性の5人に1人が、児童婚を経験している。児童婚は口減らしのために、あるいは親の借金の肩代わりに成立する。

  子どもは労働力の担い手として、重宝される。とりわけ女児は、子どもを産み増やして未来の働き手を確保するのが主目的とされてきた。つまり、労働力の確保のために生かされてきた。

 その実態を切りかえるのは、至難の技である。では、ハンデに押しつぶされかけている女性たちを、救う道はないのか。そこに、義務教育の必要性がある。

 女性の潜在力は、限りなく高い。特に育児や手当て、介護や看取りなど、他者と共感的に関わりながら高みに引き上げる力は、女性特有の持ち味である。

 その特性を磨くのは、教育以外にない。適切に教育を受けることで、自身の可能性を信じ、他者への関わりをプラスへと変えていく。

 教育はよく、陶冶に譬えられる。これは決して、鋳型にはめることではない。定型を知ることで、子ども達が自身を振り返るきっかけとなる。一人でも多くの女児が教育の恩恵に授かることを、願わずにはいられない。