「温故創新」210527 N769 伊波喜一

答え出す ICT教育 便利だと 安易に頼る 危険な匂い         

 通りすがりの庭に、梅が色づいている。黄色に熟して、実も大きい。枝ぶりも桜の大木のようだ。もう少し刈り込むと、小ぶりな実が多く生るかもしれない。 

 ICT教育が全盛である。全国の小中学校に、1人1台のタブレットが配られた。各各のペースで自学自習が出来、学校だけでなく家庭でも学べる。

 これで、日本の子ども達はこれまでの教授法から解き放たれ、追究型の学びを深められる。思考力も深まり、PISAの学習調査も良い結果になる。(メデタシメデタシ)。

 でも、本当だろうか。タブレット型の授業では、〇×で解答する。語学など正答を答えるものであれば、その方法がフィットする場合もあろう。

 しかし、自分の考えを問われるような深い学びは、〇×だけで答えられるものではない。〇×なら一人学びが出来るが、応答型の学びではそうはいかない。 

 私達は一つの問いに対して、自問自答する。それを他者と共有して、問い自体を深化させる。これには複雑な思考と思考経路を伴う。何よりも人との関係が築かれなければ、問いの深化は起こりようがない。

 学びを共有することで、物事を深く掘りさげて考えることが出来る。便利さに頼りすぎるのも、一考である。