「温故創新」221014 N1123 伊波喜一

適応に 心乱れて 悩むかな 回りの支え 知見を添えて             

 朝方まで降っていた雨が止んだ。ここしばらく、雨の降りが激しい。だんだん秋が深まってくるようだ。

 発達上の支援が必要な子ども達を持つ保護者の会「いろとりどり」で、今年も話をさせていただいた。今回は「学校不適応への対応」と題して、その背景と経緯をたどり、具体的な対策を考えていった。 

 不登校児はかつて、学校への適応を主にしていた。しかし、今では社会への適応を主に考えている。その一里塚として、学校への復帰があるという考え方に立っている。

 今、個人や家庭を取り巻く環境は、かつての比ではない。社会全体が忙しさに巻き込まれ、互いに支え合う余裕も余力もない。

  家庭も同様に忙しく、子どもとゆっくり接したり、じっくり話を聞くことがなくなった。コミュニケーションツールであるはずのスマホが、かえって子どもと大人のコミュニケーションを奪っている。

 明治以来、日本は先進国に追いつき、適応することを主眼に置いてきた。多少サイズが合わなくとも、内容がしっくりこなくても、取りあわず合わせていく。個人より、組織の論理を重視してきた。

 その結果、年間20万にものぼる不登校児や、その数倍もあるといわれる不登校予備軍の出現となった。恐ろしいことである。

 教育制度の改革は、言うまでもない。それ以上に、互いが互いの話に耳を傾ける姿勢が、求められているのではないだろうか。