「温故創新」220606 N1051 伊波喜一

梅雨入りに 雨音激し 空暗く 寒さ戻らん 冬着重ねて   

 夜半の豪雨で、目を覚ます。公園の街灯に、雨脚が長く伸びているのが照らし出されている。東京は、今日から梅雨入りとのことだ。

 一昔前までは梅雨というと、しとしと降るが常套句だった。しかし、今ではそれも過去のものになっているようだ。

 ここのところの線状降水帯は、スコールそのものだ。これでは、梅雨のしっとり感やじめじめ感は出てこない。

 梅雨時は湿度が高くてカビも生えるが、それが納豆や麹の発酵に大いに関係している。毒を変じて、薬と成すである。

 高温多湿な風土がもたらす影響は、このことだけにとどまらない。心模様を表わすのにも、雨ほど適したものはない。

 言い換えると、雨に気持ちを託せるぐらい、種類や様態が抱負であるということだ。それだけ、雨は日本人の情緒と密接に関わっている。

 加えて、山あり谷ありの地形は可変性に富み、ストレートに意思の疎通を図るのには不向きである。ドライな関係でありすぎることは、人間関係を壊しかねないからだ。適度にウェットが一番なのだ。

 青梅街道沿いを歩くと、雨で撓んだアジサイが左右に列を成して咲いていた。大小の花弁が雨に打たれて、まるで水彩絵の具でぼかしたような輪郭になっている。

 自らを主張するわけでもないのに、何気ないその存在感が印象に残る。つくづく、アジサイは雨が似合う花である。