「温故創新」220518 N1035 伊波喜一

満員の 電車に揺られ 無表情 人に優しい 社会作らん         

 アジサイの若葉が瑞々しい。まだ色が淡く、黄緑色の小ぶりな葉が開いている。梅雨に先駆けて、その準備をしているようだ。梅雨に打たれる度に、葉の色が鮮やかさを増す。全く、不思議な花である。

  それにしても、草花は正確に時を刻む。暑い日が続いたり雨の日が続いても、決して芽吹く時を間違えない。葉を広げるタイミングも花を開かせるタイミングも、寸分と狂わない。この体内時計の見事さには、つくづく舌を巻く。

 今年はサクランボの実が少なかった。暮れの剪定が響いたのか、身の生りが芳しくなかった。そのせいか、実の散り具合も早かった。例年、鳥たちと実の分捕り合戦で往生しているが、今年はその間もなく収穫が終わってしまった。あっけない幕切れだった。

 そういえば、故郷の山桃は今年も実っているらしい。地元の植木職人に聞いたら、「この木は切りすぎずに、ある程度伸び放題にしておく方が実の入りがいい」とのことだった。素人ではその判断が難しいが、自然のリズムは理に適っている。伸びる方向にあるものを遮るのは、不自然であるということだ。自然に比べて、人はかなり無理な常態を強いられている。通勤電車など、その最たるものであろう。  

 揺られている人達は快・不快を表情に出すわけにもいかず、表情が乏しい。しかしそれは、決してマスクのせいだけではないだろう。 

 自然のリズムに合致した生活が、今こそ求められている。