「温故創新」200719 N487 伊波喜一

データ化で 分かることだけ 気を取られ 無意識のこと 影響大なり   

 久方ぶりに晴れ間が覗いている。気温もあれよという間に、32℃を超えている。暑い一日になりそうだ。 

 自然科学では法則性の発見が重視される。しかし、法則性を追究したからといって、全てが分かるというものではない。 

 今回の豪雨もそうだが、梅雨前線が近づいていることまでは予想できても、ナゼその時点でその地域に集中的に雨が降るかを、法則化することは出来ない。

 仮に、一つ二つは法則化することは出来たとしても、全てを法則化することは出来ないのだ。 

 法則性は自然現象の一部に過ぎない。ビッグデータの活用そのものは大事だが、それで全てを解決出来るわけではない。 

 私達の生活は、意識するとしないとに関わらず、長い年月をかけて営まれてきた。

 今朝のように、久方ぶりに陽を浴びると気持ちが良いのはなぜか。これを解明しようとすると、膨大なデータが必要となるだろう。

 しかし、私達は無意識の中に快・不快を瞬時に感じ取る。この力は私達の遺伝子に、長い年月を通して組み込まれてきている。

 この感覚や感性を、いくら理詰めで解明しようとしても出来ることではない。ここはひとつ、理性を働かせつつも合理で割り切らない。 

 そのような考え方が主流になってゆくと、良いのではないだろうか。