「温故創新」211120 N946 伊波喜一

古の 光届かん 人々に 月の光に 何感じるや               

 昨晩は皆既月食だった。古来、人は格別の思いを抱いて月を眺めてきた。「うさぎの餅つき」を身近に感じ、豊穣を寿ぎ、団子を食した。ここでは月を、温かいものとして受け止めている。

 一方「今は昔、竹取の翁という者ありけり」で始まる「竹取物語」は、月が愛別離苦の象徴として示される。

 現世の富と権威が及ばない、通用しない非常の象徴として、月は描かれている。慈光であるはずの月の優しさが、反転して無情の断罪として人の世を照らす。

 月のもつこの両面性は、時に人を慰め、時に近寄りがたいものとして感じさせる。

 古人は月の周期と人との関わりを、「月々・日々につより給へ」と表わした。手の届かない遠くにある月だが、一刻も違わず時の周期を刻む。その時のリズムに合わせることで、月を現実のものとして捉えることが出来る。

 刻々生成、時は過ぎていく。気づかぬうちに、するりと両手をかいくぐっていく。だからこそ、時の歩みを無為に留めては勿体ない。 

 悠久の空に浮かぶ、有限の月。この月のリズムと歩調を合わせる時に、人は月の歩みを五体に感じ、自身でも気づいていない潜在力を発揮することが出来る。

 深々と澄んだ月の光は、身と心を癒してくれる。