「温故創新」220616 N1059 伊波喜一

マスクする しないの自由 委ねられ 考え選ぶ 自由はここに  

 竹藪の笹が、風に鳴っている。笹擦れの音とともに、ゆらゆらと枝が揺れている。近くの神明宮の孟宗竹が新芽の頃を過ぎて、柔らかい緑葉を伸ばしている。その竹林の下を通ると、風が心地よい。

 竹林の地盤は、堅固だと一般に言われる。その反面、地滑りにあった時は、ごそっとその辺り一面が崩れてしまう。竹林の根が張りすぎることで、かえって強度が弱まる結果となる。自然の妙というべきであろうか。

 長きにわたるマスク着用の是非をめぐって、意見が分かれている。しかし2年半も着用していると、多少の不便には慣れてしまう。

 特に日本人は相手に忖度するきらいがあるので、マスク着用に過剰適応しがちである。確かに、夏の暑い時にマスクをするなどは、息苦しくてたまらない。ただし、電車や混んでいる場所などではマスクをつけていた方が、筆者個人は安心感がある。

 また対面で話す際には、自分の唾が飛ぶのも相手の唾がかかるのも、極力避けたい。だから、マスクをつけることは、かえって心地良い。「不便の中の便」ということになろう。

 人は環境という束縛を上手に飼い慣らし、その壁を乗り越えていく。往時は足枷と思えたことでも、プラスに転じる力をもっている。

 この不屈の足跡こそ、人の辿ってきた歩みであると言ったら、大袈裟に過ぎるだろうか。