「温故創新」210711 N814 伊波喜一

真心の 一つの言葉 伝わりて いつの日にか 心開かん

 昨晩の雷雨は激しかった。駐車場脇を豪雨が流れていく。

  それにしても、蒸し暑い。こう湿度が高いと、洗濯物が生乾きである。といっても、洗濯物は待ってくれない。家族が多いところは、大変である。 

 その時には気づかなかったことが、後になって分かることがある。 

 たとえ真心から発せられた言葉でも、その時は感情的になって受けとめられないことがある。社会の荒波を潜ってみて始めて、相手の真心からの一言が腑に落ちる。 

 子どもは何でも自分でやりたがる。ただし、その手法は未知数である。親から見ると心配で、つい口を挟みたくなる。我が子の幸せを願うあまり、こういう道に進んでほしい、と望むのは自然な感情である。

 確かに、親の敷いたレールを歩めば安全であろう。

 しかし、子どもは親の専有物ではない。親と子の人生は異なる。子どもは、自分自身で伸びる芽を持っている。未熟であっても、自分で決断し踏み出せば、悔いは残らない。

 だから、親は子どもの背中をそっと後押しすればいい。そして、励ましてゆけばいい。 

 たった一つの言葉でも、真心から出た言葉は子どもの心を揺り動かす。その触発が重なる時、子どもは迷いながらも、自身で決めた道を歩き始めてゆく。