「温故創新」210503 N745 伊波喜一

各々の 未来図描き 歩き出す 違いを認め ぶつける時代に        

 サクランボの実が熟れている。上さんと二人、梯子にのぼって取るだけ取ったが、枝の中ほどや先の方にはまだまだ実が成っている。

 真っ赤で甘そうだが、残念ながら手が届かない。

 そこを小鳥たちが啄みにやってくる。あの細い嘴で真ん丸な実をはさみ、丸呑みしている。呑み損ねて地面に落っことした実は、すずめや別の小鳥が拾ってゆく。

 エサ取り争いをするのでなく、上手に棲み分けている。どうりで、今朝は地面に実が落ちていないわけだ。これなら、食品ロスも生まれようがない。 

 お隣のSさん曰く。「実が成ることに感謝し、有難くいただく。人様が食べきれない分は、鳥たちが食べてくれる。欲を出してはいけないのデス」。 

 若い頃はその言葉を、負け惜しみのようにも感じていた。しかし、コロナ下でも逞しく生きる小鳥たちを見ていると、古からの時の流れを感じざるを得ない。必要な物を必要なだけ得て、満足する。そんなシンプルライフを、生きものたちは繰り返して生きている。 

 翻って、人は時代に影響されて生きている。信念を貫き、流れに掉さして生きることが出来る人は、稀有である。

 コロナ下にあっても足元を見つめ、ぶれずに生きられる人は素晴らしい。その人こそ、真金の人である。