「温故創新」200810 N505 伊波喜一

産学の 要になるか 大学に 急がば回れ リベラルアーツ  

 うだるような暑さの中、国立昭和記念公園まで足を延ばす。暑すぎて、飲んだ先から汗が噴き出す。

 そんな中、黒と白の二匹の盲導犬視覚障害者を道案内している。お役目とはいえ、かなりの重労働だ。口を開けてはーはーと息をしている。体調を崩しはせぬかと、心配になった。 

 リベラルアーツは、大学のアイデンティティ(存在意義)である。昔は教養学部という言い方をした。

 この2年間で分からないながらも、哲学や文学、芸術をかじって大人になった気分を味わった。

 平成の30年間で大学が300増え、計782になった。学部名も97種類から530種類に激増した。

 その結果、大学の商品化が進んだ。新しい時代に対応するとばかりに、社会の行く末を見極めず学部を増やした。

 つまり、学部を商品化して売ってきた。当然、学びの質も変質する。 

 リベラルアーツの目指すものは、歴史観を持ち、人間社会を多様に見るなど、普遍的価値の追究である。

 同時にそれは、自己の内面の掘り下げとシンクロする。外の世界へ視野を広げると同時に、内なる生命をどう捉え、深めるかが大切になる。 産業界が大学の価値を消耗品と考えていては、次代の創造は夢のまた夢となろう。