「温故創新」230309 N1191 伊波喜一

振り返る 満足のいく 看取りかと やり残してはと  悔いをかすかに  

 芽吹いていたサクランボが、花開いた。20度を超える暖かい日が続いている。予報では、4月から5月並みの陽気とのことだ。

 そのせいであろう、あっという間に花が開いた。うすいピンクの混じった白色の花弁が、青い空を背景に小刻みに揺れている。春をすぐそこに感じられて、何だか幸せな気分だ。

 桜梅桃李とは、個性の尊重をいう言葉である。桜も梅も桃も李もバラ科の植物で、花弁の色や形が似ている。しかし、木の性質や形状、香りや実の形、味は全く異なる。

 どれが一番いいではなく、どれもいいである。みんな違うからこそ味があるし、その人なりの味わいが出る。それが個性である。

 今、社会は画一化が加速している。AI技術やSNSは人を束縛から解放するはずだったが、逆に縛られている。世間の反応に過敏になり、世間に自身の考えや行動を合わせる結果となっている。

 東京に出てくるまで、父は家の裏庭で野菜を作っていた。ずぶの素人から始めた野菜作りだったが、それなりのものを作っていた。

 曰く「土いじりは、自然のルールに適わないと上手くいかない。それでも、素人でも手をかければかけた分、作物は応えてくれる。それが、土いじりの醍醐味だ」。これは人との関係にも言えよう。

 相手にどう思われるかより、自分が相手の事をどこまで思えるかである。その基本を外さなければ、自然と形は出来上がってゆこう。