「温故創新」220916 N1111 伊波喜一

落下した 実から生える 実生木 活かしてこその 共生社会          

 庭のサクランボの枯れ葉が、少しずつ落ち始めている。水分を使い切って、カサカサになっている。幹に来春の栄養を運んで、自らの役目を終えている。その落葉もまた、土にかえる。自然の理には無駄がない。

 自然に落ちた実から生えた木を、実生木(みしょうぼく)という。実生木は邪魔になると考えられているため、刈り取られることが多い。

 しかし、自然に生えてくるには、環境と環境に対応できる適性が無くてはならない。それらの偶然とも思えることが重なった結果、必然としての実生木が育つ。それだけ、実生木は姿かたちは不揃いであっても、生命力をたたえている木であるということだ。

 グローバル化の波は凄まじい。全てを一律にして、呑み込む。野菜でも果物でも、規格外のものは価値が無いものとして排除される。当然、実生木などの規格外は捨て去られる。

 例えば、日本家屋の梁などを見ても分かるように、曲がった梁を上手に組み合わせて使っている。曲がりがあることで強度が増し、重厚な屋根の重みを分散できる。木に癖があるからこそ、要所要所に活かせる。一方、グローバリゼーションの波は、個性の意味合いを隅に追いやり、画一化の網を被せた。だが、その綻びが噴出している。

 効率化や画一化一辺倒の価値観をいかに変えていくか、発想の転換が求められている。