「温故創新」230208 N1174 伊波喜一

伝えたい 言葉がいのち 政治家は 原稿見つめ 聞き手を見ずに

 今朝は暖かい。室温も8度と高めである。一頃の寒さが、うそのように和らいでいる。今週末の雪の予報が、信じられない。

 活字離れと言われて久しいが、実際は活字漬けである。SNS上の膨大な情報は、居ながらにして全てが手に入る。情報が大量生産され、大量消費される。それも、瞬時に行われる。だから、言葉の実感が乏しくなり、実感の伴わない言葉が氾濫している。

 SNS上の会話は、人との距離感がなくなる。パンチ力のある言葉で相手をやっつけたり、興味を惹きつける言葉で話題をさらう。間合いを取るより、いかに効率よくやりとりするかが競われる。これでは、相手と冷静な距離感を取ることが難しくなる。

 国会中継を見ていると、政治家の答弁に体温が感じられない。官僚の書いた答弁を丸読みしている。国会答弁なので、資料の多さや数字の複雑さは想像に難くない。

 その点、答弁を丸読みすれば、確かに間違ったことは言わないし失言もなかろう。しかし、それでは話し言葉の持つダイナミズムが失われてしまう。

 話し言葉は、生きている。構成やそこに挟み込むエピソードなど、構成の緻密さが問われる。それでも、空振りはある。だが空振りをしても、話し手の思いが必ず伝わっていく。

 実感の伴う言葉を範で示していくのが、代議士の仕事であろう。