「温故創新」221221 N1145 伊波喜一

重すぎる 心の負担 軽減し 荷物を回す 心配回す

 朝靄の中、駅までの道を歩く。ここのところ、6時15分に家を出ているが、戸外は薄暗い。吐く息の白さに、寒さが凍みる。その霜が降りた畑の中に、何か芽吹いている。春に間に合わせて、今からその準備をしているのだろうか。

 うつや不登校など、日本社会を覆っている閉塞感には出口が見えてこない。これまで効率重視できたが、そのツケが回ってきているように感じる。子どもも大人も時間に追われて、何のための誰のための社会なのかを、考えずに生きてきたツケが回ってきた。

 労働をコストで換算するコスパの発想でいけば、一人の背負う荷の重さは相当なものになろう。結局背負いきれず、じわじわと我が身と心を蝕んでいく。その荷物を溜め込んでしまうと、早晩パンクするのは自明であろう。

 ここに一人、手の空いている人がいれば、その人の手を借りて荷物を次の人へと送れば、荷は滞らない。ケアする人一人ではきついが、他の人の手を借りれば何とかなる。ケアする人を別の人がケアすれば、世の中は回っていく。

 低賃金の長時間労働に加え、一人に過重な責任を果たさせる仕事のあり方を、日本は選択してきた。しかし、もう変え時である。これまで合理で全ての帳尻を合わせてきたが、そのやり方を見つめ直す時が来ているのだ。