「温故創新」220527 N1041 伊波喜一

銃社会 米国の闇 ますますに 規制の網を かけるべきかと     

 雨に打たれて、ブルーベリーの実がピカピカに光っている。夜半から今朝にかけて、横なぐりの雨が叩きつけるように降った。

  だが、実はびくともしていない。かえって、青さを増しているようにさえ見える。

 先頃も米国で、小学生を狙った銃犯罪が起こった。1クラスを狙った計画的犯行で、21人が死亡し17人が怪我を負った。

 米国の銃は、人口を上回る4億丁あると言われている。その中には戦場で使用するような、殺傷力が高すぎるものまで売っている。それがさしたるチェックもなく、販売されている。

 米国は多民族国家である。また、力づくで南北戦争を決着した国である。それだけに、銃規制の声はいつでも隘路に流れこんでしまう。 加えて、兵役の災禍である。修羅の生命が噴き出る戦場では、躊躇すれば敵に殺られてしまう。

 この修羅の生命の傾向が習い性になると、話し合いなどはまどろこしくなる。理屈で納得させるより、手っ取り早くカタをつける。それには、武力と暴力が最適の手段となる。

 米国の闇を転換していくには、仏法の説く十界論の発想を土台に据え、粘り強く話し合っていく以外に道はない。

 一人一人の生命には差異を乗り越えて、まとまる力が眠っている。その力を引き出してこそ、互いを尊重する社会も築き上げられよう。