「温故創新」220528 N1042 伊波喜一

正論と 天邪鬼との 境目か 逆張りの声 時代に残るか    

 昨年暮れに枝落としをしたコニファーが、いつの間にか青々と葉を茂らせている。今朝は朝から陽射しが強い。7月上旬並みの陽気とのことだ。熱中症には、くれぐれも注意が必要だ。

 ネット空間では「逆張り」が目立っている。たとえそれが正論であっても、ネット上では似たような考えや内容では耳目を引かない。そのため、敢えて目立つ言辞を弄する。それが、一面では書き手の個性ともとらえられている。

 逆張りは元来、株の売買の際に使う証券用語である。株の値が下がった時を、好機とばかりにあえて買うことを指す。転じて、他とはあえて逆のことをするという意味に使われる。 

 話は変わるが、国会の論戦では、言葉一つで物事の道理を明らかにする。野党の舌鋒は鋭い。与党も答えに窮する場面が見られる。一見すると、野党が優勢に立っているようにも見える。

 しかし、野党は論詰に頼りすぎると墓穴を掘りかねない。なぜなら、相手へのリスペクト無き議論は、奇を衒った言動に陥りやすいからだ。ネット上の逆張りそのものである。

 正論は地味で目立たない。激越な口調で語らない。そのため、つい聞き過ごしてしまう。だが、本来、議論とはそういうものである。

 当たり前のことを、当たり前に行い、当たり前に評価する。この姿勢こそ、民主主義の根幹であろう。