「温故創新」220503 N1030 伊波喜一

原爆の 惨禍留めん 朽ち果てて 鉄骨瓦礫 剥き出しのまま       

 新緑に光が当たる。5月の緑陰に陽光が眩しい。路面電車の沿線には街路樹が青々と茂り、その緑が陽の光を柔らかく濾(こ)している。

 元安橋を渡ると、目の前に原爆ドームの遺構が飛び込んでくる。ドーム状の屋根はレンガが崩れ落ち、鉄骨を晒している。

 壁の壁面を覆っていたレンガは崩落し、地面に散乱している。窓も空虚に開いていて、壁だけで建物が支えられている。崩落寸前である。

 被爆の状況をフィルムに収めたカメラマン達の証言が、残されている。彼等の目の前には皮膚がただれ落ち、この世のものとは思えない阿鼻叫喚が累々と続いている。地獄図より悲惨な、生き地獄そのものの現実が目の前にあった。

 今、ウクライナに対してロシアは核兵器の行使を辞さないとしている。現今の核兵器の破壊力は、広島の比ではない。それを行使すれば、どれほどの惨禍が起こるか想像も出来ない。

 この想像力の欠如が、末代にわたる惨劇を引き起こしていく。不信が憎悪を生み、武力を増長する。この負の連鎖を止めない限り、力による鎮圧はなくならない。

 仏法では、己心に善も悪も同居すると説く。悪を伏し、善を引き出す。理屈ではなく、奥底から湧き出る生命力こそ、分断を繋ぎとめる唯一の方法である。

 この哲学が構築されてこそ、平和への直道もあるのではなかろうか。