「温故創新」230809 N1253伊波喜一

反核の 動き鈍重 日本の 今なお核の 脅威頭上に    

 今日8月9日は、長崎に原爆が投下された日である。広島に投下されて、僅か3日後のことである。被爆者のみならず、その苦しみと悲しみは78年経った今なお続いている。

 知人に、祖母が長崎で被爆した方がいる。当時は、インターネットも何もない時代である。広島の惨事が長崎で繰り返されているとは、祖母は夢にも思わなかった。

 祖母は放射能に汚染して、体調不良を繰り返す。じきに、体調不良の原因が放射能にある事を知る。家族以外の誰にもそのことを話さないよう、祖母の母親から口止めされる。

 祖母の結婚の際には、相手方が被爆に理解を示したものの、我が子が生まれる時に原爆の後遺症が出るのではないかと、心配でたまらなかった。幸いに、後遺症は出なかった。が、今度は孫が生まれる時に、それ以上の苦しみを味わった。

(いつまで、被爆した事を心の内にしまっておいたらいいのか)。祖母は苦しみ続ける。孫が小学生になった時に、初めてその事実を子や孫に伝えた。同時に、自らの被爆状況やその後の自身が歩んできた道のりを記録した。そこには、原爆が本人のみならずその回りの人達も巻き添えにして、絶望の淵に叩きとすかが記録されている。

 原爆の悲劇は、何十年経ってもなくなることはない。残酷この上ないこの核兵器の使用を、絶対、野放しにしてはいけない。