「温故創新」210822 N856 伊波喜一

報道の 自粛規制か 公共の 手心加えん 企業経営           

 ここのところ、通り雨ならぬ豪雨が毎日降る。線状降水帯は去ったものの、全国的に大雨への備えが欠かせない。 

 メディアには公共性が求められるが、果たしてどこまで公共性を優先できるのだろうか。

 かんぽ生命保険の不正販売を明らかにした「クローズアップ現代+」の事例を、覚えている人もいるだろう。

 この時、日本郵政グループがNHKに抗議し、経営委員会は「ガバナンス教化」を打ち出した。結果、NHK会長を厳重注意した。この対応は報道現場の委縮につながるだけでなく、士気の低下を招く。

 報道に携わる者は、事実を調べ伝えることに精魂傾ける。事実が必ずしも、真実を表わすとは限らない。だが、積み重ねられた事実は、間違いなく真実の裏づけとなる。

 その真実に至るプロセスの追求が、報道現場の使命であり醍醐味である。その根底には、公共性を尊重する考えが横たわっている。 

 ところが現今は、公共性より経営経緯を中心に据えて物事を判断し、断行している。コストカットに慣らされている。

 役所、学校、福祉、そして病院の予算を削った結果が、今の逼迫した社会状況になっていることを、国は改めなくてはならない。

 その主権者たる国民が考えを改めなければ、公共の概念そのものが消えてなくなるだろう。