「温故創新」200804 N502 伊波喜一

エンタメで 全て解決 出来るかと フェイク蔓延 歴史問わんか    

 フェイクなる言葉が登場して久しい。今では虚偽であることの是非よりも、そのエンタメ性にフォロワーが群がる時代となった。

 視聴率を追うマスコミも同様で、それ以上に煽り立てる役割をさえ演じている。 

 まさに、付和雷同!! 善悪の価値基準を持たず、エンタメ性を追求する。事実であろうがなかろうが、ニュースになるかならないかが判断基準となっている。コロナ禍の「夜の街」感染源説など、その極みであろう。

 実際、都でこれほど感染が広がってみると、感染源は夜の街に特定されるものではない。 

 夜の街で生きる人達も他職と同様、納税して国を支えている。

 だから、休業補償を丁寧に行い、納税出来るように行政指導していくことが順番であるはずだ。

 それを、行政・警察・マスコミが寄ってたかって叩く。思想も哲学もモラルもあったものではない。 

 歴史の中でも、この傾向が散見される。近隣国での植民地支配を正当化するなど、その典型である。支配する者には、支配された者の感情は決して分からない。屈辱的言動を行う者に、屈辱された者の感情がどうして分かるだろうか。分からないから、侮辱し続けるのだ。  

 互いの価値観を認め、尊重することこそ今求められている。