「温故創新」200803 N501 伊波喜一

青空に 体振るわせ 蝉鳴きて 響きわたるか 夏の終わりに    

 センター隣の公園から、蝉の声が聞こえてくる。ありったけの力を振り絞って、鳴いている。心なしか、夏の終わりの気配を感じる。 

 蝉の一生ほど、儚さを感じるものも少なくないだろう。地中に埋まること10数年。羽化して地上で過ごすのは、1~2週間にすぎない。 

 その中を、ありったけの力を振り絞って鳴く姿は、短い生を完全燃焼して生きてゆく姿と重なる。

 まるで、地中に閉じこもっていた間の思いを、全てあの鳴き声にぶつけているかのようだ。

 凄まじいばかりの執念というか、エネルギーである。何のために、あそこまで必死になって鳴くのだろう。わき目もふらず鳴き続ける姿は、感動的でさえある。 

 蝉には蝉の一生がある。同じように、人には人の一生がある。蝉のように、人も何かを叫んでいる。自分の全存在をかけて、一番大事なことを語っている。

 人生の甘いも酸いも経験したからこそ、最後は誰に遠慮することもなく、自分が育んできたことを後生に伝えたい。時代や国や制度が代わろうと、人は思いを伝えるためにこの世に生を受けている。周りではなく、自分こそが主体者なのだ。 

 生命の充実はその覚悟と自覚にあることを、蝉は教えてくれているのかも知れない。