「温故創新」200725 N493 伊波喜一

コロナ禍が 気になるけれど 出てみると 家族・友達 人溢れるか   

 大雨続きの一日だった。GoToキャンペーンは出鼻を挫かれた格好だ。感染拡大は恐いが、経済活動が止まることも同様に恐い。 

 そんな中、友人と連れ立って都心の飲食店に行ってきた。筆者達の懐具合では微々たる金額にしかならないが、何とか応援できればと思い、出かけた。 

 10年ぶりに会う大将は、以前にもまして物腰が柔らかい。一等地の目抜き通りに店を構えて、今年で9年目に入るという。

 お客は企業が多く、コロナ禍の出控えでかなりの収益源になっている。そんな状況下でも「守られています」と語っていた。

 お客は元より、目に見えない何かに守られていて、窮地を凌いできているとのことだ。

 「心の固きによりて、神の守り、すなわち固し」という。これは、神にただ頼るのではなく、覚悟を持って事に臨んではじめて、諸天が守ってくれることを言っている。

 コロナ禍でお客の入らない中で、店が続けられること自体、奇跡に近い。大将の覚悟と人柄、日頃からの信用の積み重ねが、いざという時に諸天を動かし、守ったのだと納得した。 

 余談だが、鮨を握る時に指についた数粒のシャリでさえも、米櫃に戻していた大将。

 物を大事にするということはどういうことか、改めて教えられた。