「温故創新」200724 N492 伊波喜一

創造の 源泉たらん 現場こそ 継ぎ足すのでなく 削ぎ落とすこと   

 日照不足のせいか、ブルーベリーの実が酸っぱい。

 小鳥たちに食われる前に熟しきっていない実を捥いでいるのも、その一因かも知れない。 

 コロナの影響で、働き改革が実体感をもって感じられる。

 テレワークはその一例だが、全てをテレワークで済ませることなど出来ない。それでは、伝達者からの一方通行となってしまう。 

 むしろ、これまで必要不可欠だと思い込んでいたことが、実はそうでもなかったということに気づいたことが大きい。常識だとされていたことを、捨てる。削ぎ落すことで、新たな創造のきっかけとすることが出来る。 

 時間や労力・資金は限られている。

 これまで全てをやらなくてはと捉えていた事は、コロナ下では儘ならない。従来の「知識」による「判断」では、全く対応できない。

 ポスト・コロナは「見識」による「決断」の時代へと変わると、識者は指摘している。 

 個人においても自ら現場に足を運び、自らの眼で見て、雰囲気を感じ取る感性を磨かないと、見識は深まらない。

 見識を伴わない決断は無謀であり、無茶をし、自滅する。 

 激動のこのコロナ時代は、これからが本番である。そこからどのような教訓を引き出し、未来へ生かせるか試されている。