創造の 源泉たらん 現場こそ 継ぎ足すのでなく 削ぎ落とすこと
日照不足のせいか、ブルーベリーの実が酸っぱい。
小鳥たちに食われる前に熟しきっていない実を捥いでいるのも、その一因かも知れない。
コロナの影響で、働き改革が実体感をもって感じられる。
テレワークはその一例だが、全てをテレワークで済ませることなど出来ない。それでは、伝達者からの一方通行となってしまう。
むしろ、これまで必要不可欠だと思い込んでいたことが、実はそうでもなかったということに気づいたことが大きい。常識だとされていたことを、捨てる。削ぎ落すことで、新たな創造のきっかけとすることが出来る。
時間や労力・資金は限られている。
これまで全てをやらなくてはと捉えていた事は、コロナ下では儘ならない。従来の「知識」による「判断」では、全く対応できない。
ポスト・コロナは「見識」による「決断」の時代へと変わると、識者は指摘している。
個人においても自ら現場に足を運び、自らの眼で見て、雰囲気を感じ取る感性を磨かないと、見識は深まらない。
見識を伴わない決断は無謀であり、無茶をし、自滅する。
激動のこのコロナ時代は、これからが本番である。そこからどのような教訓を引き出し、未来へ生かせるか試されている。