「温故創新」200726 N494 伊波喜一

生存の 重み弥(いや)増し 考える やまゆり園の 事件4年に     

 晴れて暑くなるとの予報だったが、一日雨だった。夜からは雷雨に変わった。梅雨明けはもう少し延びそうだ。 

 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」から、丸4年が経った。利用者19人が殺害され、26人が重軽傷を負った。園は建て替え工事が進み、園舎前では花束が手向けられた。 

 この事件では3月、事件を起こした植松聖被告に死刑判決が下った。「生産性のない命には価値がない」とする思想の根底には、優性思想が感じられる。 

 先日、安楽死した筋委縮性側索硬化症(ALS)女性の生き方は、難病患者だけでなく多くの人に「生きるとはどういうことか」問いを投げかけている。

 植松被告の言う生産性を突き詰めてゆくと、障害の有無にも当然ながら行き当たる。 

 障害を持っていることは、本当に生きるに値しないのだろうか。筆者は全くそう思わない。 

 若い頃、受けた講義の中で、講師の語った一言が印象に残る。

「大地に一本の線を引いて、左側に健常児、右側に障害児が並ぶ。遥か上空から見た時に、線なんか見えるだろうか。みんな同じ大地に立っている。この世に生を受けたということは、一人一人に無限の価値があるということを教えているのだ」。  至言であろう。