「温故創新」200216 N384 伊波喜一

遊び無き 子どもと大人 スマホ手に 創造性の 芽摘まれんと

 駅近のシャッター通り街に、学習塾がひしめきあっている。中学校受験・高校受験用の塾が、しのぎをけずっている。将来の過当競争社会を勝ち抜くためには先ず良い学校へ進学と、夜遅くまで煌々と電気がついている。 確かに、勉強でもスポーツでも学ぶ時期がある。その間に学べば効率が良い。いわゆる義務教育期間がそれに当たる。一方であそびに適した期間もあり、これは学習の期間とほぼ重なっている。どちらも大事だが、どうもあそびの方の分が悪い。いつの間にか、詰め込み型が復活している。 例えば、小学校では新たに英語が加わり、その分、授業時間を増やしている。これでは放課後遊びやみちくさなど、出来ようはずがない。この時期は人との関わりや、自分たちで何かを決めてやっていく経験が必要である。詰め込むことと同じくらい、自分達で考え・決めていくことが必要だ。大人が干渉することと同じくらい放任が欠かせない。このバランス感覚が失われていくことに異論が出ない事は、何だか恐ろしい。 

 学びとあそびは表と裏のようなものだ。学んだことを実践の場で活かして初めて創造の芽生えがあると思うのだが、いかがだろう。