「温故創新」241015 N1534 伊波喜一

忘れてる 言葉に頼り 表層を 感情伝う 本質忘れず       

 昨夜は寝苦しいと思ったら、今朝突然の豪雨である。風が北から吹いていて、季節の変わり目を感じる。お陰で庭も畑も潤っている。

 中・高校時代の友人、二郎の紹介で「チムガナサン(心が哀し)」の舞台を見てきた。人はお金が無くては、生きていけない。貧しければ、殊更そのことが身に沁みる。

 でも、お金よりも大切なものがある。それがチムガナサンである。単純なストーリーなのに、ナゼか心を打たれた。

 今回このパフォーマンスを、造語で演じていた。日本語でも外国語でもない造語。その合間に、ワンポイントの日本語を混ぜる。あとは思いや伝えたいことを、ひたすら造語とパフォーマンスで伝え切る。

 正確な意味は分からないが、演者達が伝えたいことが不思議なことに伝わってくる。じわりじわりと押し寄せてきて、フィナーレは感情の重なりで寄り切られた。

 人は言葉を獲得して、初めて人となる。あまりにも当たり前すぎることだ。が、その言葉の表層にのみ反応し、言の葉(ことのは)の本質を忘れてはいないだろうか。

 本当に伝えたいことは、シンプルでストレートである。そして、伝わるまで何度でも繰り返す。その真摯な懸命さが人の心を打つ。

 何十年も言葉を学びながら、かえって言葉の本質から遠ざかっていた。言葉の持つ意味を、改めて考えさせられた。