「温故創新」230619 N1223 伊波喜一

公用語 日本語止め 英語にと 浅薄な知恵 言葉は文化 

 湿度は高いものの、朝から風が涼しい。ここのところの蒸し暑さには参っていたので、正直助かる。

 グローバリズムは、英語の一人勝ちである。世界共通語に合わせて、日本も英語を公用語にしてはどうかという意見が根強い。学問やビジネスの世界では、英語の習得が必須である。この際、日本語を止めて英語に乗り換えるのは得策だ?!

 果たして、そうだろうか。言葉というのは、その地域の文化や心情に根ざしている。生きる知恵や価値観などは、地域の土壌から生まれてくるものである。

 例えば、日本語の「あはれ」にはいくつものニュアンスがある。可哀想という原義から始まり、健気に取り組んでいる姿や生きている姿に感動するという意味合いにもなる。単なる上から目線ではなく、相手と同じ境遇まで降りて同苦する。

 このように、心の動きや思いを表現しようとすれば、その地域に根ざした言葉が必要となる。これには、母語が最適である。

 母語はまさに、その地域の言葉である。生きた言葉である。母語で会話するからこそ、思いが伝わる。英語を標準語に譬えるとすると、日本語は方言となる。方言はその地域でしか伝わらないが、聞くものの心をしみじみと耕す。

  便利一辺倒の生き方で判断するのは、拙速であろう。