「温故創新」240202 N1385伊波喜一

いつまでも 気持ちは若く 弾むけど 食欲減退 病気とお墓 

 朝から多摩は風が冷たい。重ね着をしたが、恵比寿は都心で汗ばむ。

 国語研究員時代の仲間が集まり、恵比寿の中華屋でお昼を囲んだ。会のメンバーは元々8名いたが、1人亡くなり、現在は7名である。今回の参加者は4名。男性ばかりである。

 30数年前当時、30代前半から40代半ばの仲間で、喧々諤々、よく議論した。夕方から夜にかけて集まり、テーマについてああでもないこうでもないと話した。意見がぶつかり合って収拾がつかなくなることがあったが、よく出来たもので、ちゃんとまとめ役がいて、収まるところに収まっていった。所謂、調整役である。地味で目立たず、聞き役に徹することが仕事のようなものだ。

 そんな役を引き受けてくれる人がいてくれたお陰で、今回の4人は我を通すことが出来た。当時は恐いもの知らずで、正論の勢いで押し通せば、大概は通ると思っていた節がないでもない。

 しかし、世の波を多少でも潜ってみれば、それがいかに世間知らずだったか分かろうというものだ。

 会議が終わってから、近くの焼き鳥屋で麦酒を飲みながら、熱く語り続けた。よく食べ、よく飲み、いやになるぐらい話したものだ。 

 その仲間も年をとり、話題は病気と葬式、そして墓で終始する。誰だかこの会で集まることを「安否確認」と言ったが、言い得て妙である。来年も集まって来れるよう、互いの健康を口にしながら、別れた。