「温故創新」180503 N229 伊波喜一

ご先祖に 手を合わすかな 清明の 道端刈られ 気持ち新たに

4月末に帰省し、墓参りをしてきた。清明(しーみー)である。清明は中国から伝わり、「清明の節」の期間に先祖のお墓に親戚が集まり、線香や花、重箱に詰めた料理を供え、先祖の墓を供養したのが始まりである。亀甲墓は子宮を模していると言われているが、母の母胎から生まれ、死後は母胎の元へ還ることを象徴化している。母なる大地を象徴する墓の前で先祖に捧げものをし、飲み食いをする。こういう時ぐらいしか、顔を合わせることが出来ない人も多い。多忙な現代社会ではあるが、先祖を尊ぶ心は万人に共通の感情である。次の世代へどう伝えていくか、考えていかなければならないことを、痛感した。特に、墓が遠方の地域にある場合、墓参りも容易ではない。今後、墓参や墓の維持、管理のあり方など、少子高齢化に合わせて柔軟に考えていく必要が出てくるだろう。 墓へと通じる田舎道は普段は草がのびているが、清明にあわせて草が刈り込まれ、景観が一変したかのようだった。これまでやって来られたことに対する先祖への感謝と、今後の決意を報告した。墓参りを終えることが出来て、少しホッとしている。次に参るのはお盆の時となる。